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用意不用力 - 身体各部の動きには意味があり、力任せに動かしたりすることではありません。

身体各部の動きには意味があり、力任せに動かしたりすることではありません。

初めは規定どおりに動かすにはどうしたらよいかをもっぱらにし、熟練してきたら勁力、つまり動作の攻 防の意味にあった動かし方に集中します。

・心によってを運行し、氣によって身体を動かす。

・意識統一で、動きの中で大脳皮質の運動神経中枢と小脳が制御していく。

・目の心をあらわす。頭を下げずに二目平視、「実」の動きに合わせる。


武術太極拳についての一見矛盾した用語であるが、これはその特徴をよく表現しており、意(意識・意念)より多く用い、力をできるだけ使わないことによって、勁力(ちから)を得るところにある。

太極拳は身体の外形、内面双方の意味において全身運動である。

つまり太極拳を「意識体操」とみることもできるが、それは太極拳が意識と動作、そして呼吸、眼法の一致した運動であるからである。

太極拳をする時には、気持ちを落ち着けると同時に楽にし、全身をリラックスさせ、余分な力を使わないで行う。

このことによって気血の運行をよくし、脳(あたま)にとっては訓練であると同時に休息にもなる。


力みをとり意識(イメージ)で動作を誘導すること(意到気到:いとうきとう)。 意識(気や心)を用いて身体の動きをリードする事により動作の意味&表現力が高まる。

「力を使わず意識(イメージ)を使いなさい」の意味。

目的に到達するために自分がどうなりたいか(又はどうすれば心地いいと感じるか)のイメージを鮮明に描くことで達成&実現させる事。

例えば何か実現させたい願望や夢も最初にその達成後のイメージを鮮明にもちながら行動しようということにつながります。ただがむしゃらに頑張るだけではなくイメージをうまく先導させて行動する事が達成の秘訣ですね。ちなみに想像力は得意の私ですが、これからはもっと有意義&有効に使うことにしよう。


意を用いて力を用いず。

筋力は大切だが、すべての力を抜き去るくらいにしないと分からないことが多い。

パワフルでダイナミックな動作を求めると、精妙な部分に自分で気がつかないということになりやすい。


「全身すべて意を用い力を用いず」と拳論でいわれています。

全身をのびやかにし、いささかでも部分的な力を使わずに筋肉、関節、血脈をつまらせないようにしてこそ自由自在に変化させることができます。

力を用いずにしていったいどうして力を育てるのでしょう?

人体には経絡があり、地面のくぼみのようなものです、このくぼみが塞がれば水は流れません。 経絡に気を通すのです。

全力を一部にこめれば経絡が塞がり気血が停滞し、動きもにぶくなり、わずかな力で引っ張られると全身が動揺します。

力のかわりに意を用い、意が達すれば気も達するので気血が流れ、それが全身にしみわたりいささかも停滞しなくなります。

そして正真正銘の内勁を得ることができます。

拳論の中に「極めて柔軟にした後、極めて剛堅になる」とあります。

太極拳の熟練者の腕は鉄を真綿でくるんだようにな沈着さをもっています。

外家拳は、外にはっきりと力を示しますが、力を用いないときは、あからさまに勁をもっていないことがわかります。

それで、外勁を使う拳技の力は最も相手にさとられやすいのです。